大勢の観客が訪れた鈴鹿サーキットで行われたF1日本GP決勝。フリー走行、公式予選と合わせ、3日間の動員数が36万1000人。日本のF1ブーム絶頂期だった94年の記録を抜き、過去最多となった。
晴れ/ドライコンディション
20回目の開催をもっていったん幕を下ろす、鈴鹿での日本GPは、今シーズンを沸かせたフェルナンド・アロンソ(ルノー)、ミハエル・シューマッハ(フェラーリ)の新旧王者による同ポイントでのタイトル決定戦、“純日本”チームとして今季のF1に初参戦を果たしたSUPER AGURI F1チームの初の母国グランプリ、そしてHonda、トヨタの母国グランプリにおける表彰台を賭けた戦いなど、その歴史に相応しい見どころの多いレースとなった。
決勝日の鈴鹿は午後2時のスタート時点で気温24℃、路面温度28℃のドライコンディション。22台のマシンはフォーメーションラップを終えると、秋晴れの下、53周のレースに臨んだ。好スタートを切ったのは5番グリッドのF.アロンソ。フェラーリとの間に入るトヨタの2台の背後にぴたりとつけると、1コーナーから2コーナーにかけてヤルノ・トゥルーリのイン側に並び、その出口で4番手に浮上する。一方、8番グリッドからスタートのルーベンス・バリチェッロ(Honda)が他車との接触でフロントウィングを破損し、修復のための緊急ピットインを余儀なくされ、最後尾まで落ちてしまう。
3周目の1コーナーではM.シューマッハがチームメイトのフェリペ・マッサを交わしトップに浮上。この周にはファステストラップも記録し、2位以下とのタイム差を広げていく。一方、4番手を走行するF.アロンソは、ヘアピン、デグナーとオーバーランするシーンも見られたが、3番手のR.シューマッハとの差を徐々に詰めると、13周目の1コーナーの飛び込みでR.シューマッハをオーバーテイクし、3番手に浮上する。12周終了時にはJ.トゥルーリが上位陣で最初にピットに向かうと、翌周にはR.シューマッハとF.マッサ、その翌周にはF.アロンソ、M.シューマッハはその3周後に1回目のピットストップへと向かう。
レースは中盤に向けてM.シューマッハがトップ、その約5秒後方をF.アロンソと、新旧王者がマッチレースを展開。その後方にF.マッサ、J.トゥルーリ、R.シューマッハのトヨタ勢が続くが、3ストップ戦略のトヨタは、29周終了時にJ.トゥルーリ、その翌周にR.シューマッハが2回目のピットイン。このピットストップで両者の位置関係は変わらなかったが、J.トゥルーリのマシンはマシンバランスを崩し、約10周に渡って著しくペースダウン。後ろを走るR.シューマッハもこの影響を受け、トヨタの2台は表彰台圏内から脱落してしまう。
さらにレースに動きがあったのは、上位陣の2回目のピットストップ後。35周終了時に2番手のF.アロンソ、その翌周にトップのM.シューマッハが2回目のピットストップを行ない、それぞれ終盤に向けての優勝争いに備えるが、M.シューマッハはコースに復帰した周のデグナーカーブで何とマシン後部から激しい白煙を上げスローダウン。デグナーカーブを越えたところでコース脇にマシンを止めている。これでトップに立ったF.アロンソは2位のF.マッサに16.151秒差をつけてトップチェッカー。6月のカナダGP以来となる勝利を飾るとともに、M.シューマッハとのポイント差を『10』とし、自身2回目のドライバーズ・タイトル獲得に王手をかけている。
この結果、優勝はF.アロンソ、2位にF.マッサ、3位にはジャンカルロ・フィジケラ(ルノー)が入り、母国グランプリを戦う日本勢では、Hondaのジェンソン・バトンの4位が最高位で、表彰台には届かなかった。5位はマクラーレン・メルセデスのキミ・ライッコネン、そして6位にJ.トゥルーリ、7位にR.シューマッハとトヨタ勢が続き、8位にはBMWザウバーのニック・ハイドフェルドが入った。
“純日本”チームとして初の母国グランプリに臨んだSUPER AGURI F1チームは、鈴鹿の大観衆の声援を一身に受ける中、佐藤琢磨、山本左近の両ドライバーが53周先のチェッカーを目指して戦い、佐藤がトップから1周遅れの15位、山本がトップから3周遅れの17位と2台の揃っての完走を果たした。
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